初めて会った時、彼の目は、酷く寂しい漆黒だった。
 何処までも深く、昏い、底の見えない漆黒。諦念に支配され、全てを毀棄してしまおうとする色が窺える、しかしその一方で切実に希望を求めている様な、そんな黒曜石の色。その色を目にした途端胸が締め付けられる様な思いがして、唯々苦しかったのを覚えている。辛くて、哀しくて、泣いてしまいそうだった。
「――姫」
 まるで心臓を握られる様な痛みが走る。ともすれば呼吸が上手く出来なくなってしまいそうな、そんな感覚だ。其れ程までに彼の全てが重くて重くてどうしようも無く、けれどもその重さが無くては生きていけないのだという自覚もある。
 自分にとって何より必要な存在で、欠けてはならないものなのに、離れ難い人なのに、こんなにも、辛い。
「もう、榑桑(ふそう)ったら。二人の時は名前で呼んで、って何回も言ってるのに」
「ああ……ごめん、枳音(きね)。でも誰かに聞かれたらまずいだろ?」
 彼が自分にだけ見せる、何の敵意の無い、少し幼さすら感じさせる笑み。それにまたずきりと胸が痛む。哀しくて哀しくて、心は何時だって止まる事のない涙を流し続けている。
 分かっている。己の立場も、彼の立場も、弁えてはいるのだ。国の姫であり巫であるから、この想いの結末など、とうの昔から知っている。けれどもどうにも出来ない想いがあるのだ。この想いの結末を知っていてなお、どうする事も出来ない切なさが。
「今この近くには誰もいないわ。未だに元老院は紛糾状態で収拾不能だもの」
 何も出来ない。何も変えられない。あまりに小さな此の手では、天を掴む事など出来はしない。あまりに脆弱な此の心では、天に抗う事など出来はしない。
「そんな顔をしないで、枳音。何があっても、俺が絶対、枳音を護るから」
「……分かってるわ。有難う、榑桑」
 少しずつ、少しずつ、背に負わされる重みが増えていく。それでも彼の手を振り払う事など出来なくて、その優しさに付け入って、その直向きさに甘えて、急勾配を転落して行くのを止められない。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と心の奥底で一体何回唱えた事だろう。もう数え切れない程に繰り返し繰り返し、彼の顔を見ながらその言葉を唱え続けてきた。それ以外にはもう、どうしたら良いのか分からないのだ。
 ごめんなさい。
 心は悲痛な声を上げて叫ぶ。けれどもそれは決して口にしてはいけない事だ。巫覡である自分は、知ってはいても言ってはならない事だから。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 叶わない想い。届かない想い。確かに心は通じているのだけれど、受け入れてはならない想いが此処にはあるのだ。
 だから、そう。
 これは、決して実らない――永遠の、片恋。





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