Treasure












「そりゃあ晴れて両想いにはなったわよ。ぶっちゃけ嬉しいし。

でもね、グレイスってば前と全然態度変わらないの。自分に自信を失くしたわ……」





午後の夕暮れ時。

クッションを抱きながらソファーに寝そべるウィッチは

憂鬱げに重いため息をつき、そんな乙女らしい呟きを零した。



彼女の唯一の相談相手、ヴィンスはソファーの下からウィッチを見上げ

勢いに任せたように尻尾をパタパタと振る。若干弱小な風が彼女の前髪を揺らした。





「そんなことないよ! グレイスのおじちゃん前より優しくなったもん!」

「そうかな……」





自信満々といった様子の言葉に少しだけ微笑んでみるも

やはり不安はそう簡単に拭えるものではない。元々嫌味なことしか言わないグレイス相手に

ここまで真剣に悩む方がおかしいのかもしれない。けれど恋をすれば彼女も女の子。

ウィッチは手元にある綺麗にラッピングされた箱を見やり、徐に頭を掻き乱し始めた。





「調子に乗ってこんなもの用意しちゃったけど……あ゛ぁ!! 作らなきゃよかった!!」





今日、バレンタインという女の子にとっては一大イベントの日に

ちゃんと手作りのチョコを用意してしまった自分に激しい嫌悪感を覚える。





「絶対アイツ鼻で笑うよ! 受け取る前にバレンタイン氏が殺された日に

なんちゃらってグチグチ言うに決まってるんだわ!

っていうかそもそもバレンタインを知らないはずよ!」



「ばれんたいんって何?」





純粋な瞳でコテンと首を傾げながら問うてくるヴィンスに「はあ……」とため息をつき

頭の中でグレイスにチョコを渡した時のことを思い浮かべた。





『これを僕に? 嬉しいよ、ありがとう』

『不恰好だし美味しくないかも』

『そんなことない。凄く美味しそうだよ』

『グレイス……』



あり得ねぇええ!!





思わず持っていたクッションを床に叩きつけてしまった。





「アイツに限ってそんなこと絶対にあり得ない!! っていうか寧ろ怖いわ!!」





驚いたように自分を見上げるヴィンスを無視しながら米神を押さえ

グレイスの人柄をよく思い出してからもう一度シミュレーションをしてみる。





『何これ、また何意味不明な物作ってるの? 食費代かさむんだから

余計な物作るのやめてよね。しかも、うわ……ちょっとこれ食べられるの?』



「あ、なんかリアルで結構ヘコんだ……でもこっちの方がグレイスらしいわよね」





想像の中でもやっぱり嫌味しか言わないグレイスに少しだけ苦笑して

拾い上げたクッションをぎゅっと腕に抱きながら顔を埋めた。

しばらく沈黙だけが室内に降り注ぎ、その様子に心配したヴィンスが

ソファーに足をかけながらウィッチの頬をぺろっと舐めた。





「どうしたの、お姉ちゃん」



「……せっかく恋人になれたのに、なんでこんな悩まなきゃいけないんだろう?

やだな、好きって……意味解んない。こんな大変だったっけ」





頭の中をぐるぐると回る理解できない感情に軽い戸惑いと悲壮感を覚える。

出会った頃はこんなこと思いもしなかった。寧ろグレイスが嫌いでたまらなかった。

いつの間に自分はこんなにも彼に入れ込んでしまったんだろうか。

ウィッチはすーっと大きく息を吸い込み、手元にあったチョコを引っつかんで立ち上がる。





「よし、捨てよう。最初っからバレンタインなんて失くしちゃえばいいのよ!」

「何してるの?」

「ぎゃあぁああ!!!」





急に背後から聞こえてきた声になんとも女らしからぬ悲鳴をあげ

バッと振り返ってから急いで背中にチョコを隠した。声の主、グレイスは

訝しげな目でウィッチを見つめながら眉根を寄せている。





「グ、ググググレイス!? びっくりさせないでよ!!」

「びっくりしたのはこっちなんだけど……何してたの?」

「なっ、なんでもない! 捨てるとこだっただけ!」





言ってから気づいた。なんてことを口走ってるんだ自分……。

思わず滑ってしまった自分の口を捻り上げたい気分に陥りながらも

引き攣った笑みを浮かべて、ますます不思議そうにするグレイスを見やる。





「……何を?」

「ゴ、ゴキを……」

「捕まえたの?」

「うん……」

「素手で?」

「いや……えっと、ヴィンスに手伝ってもらって」

「……ふぅん」





冷たく細められた彼の視線が突き刺さり、すっと目線を逸らすもそれは変わらなかった。

またどうせ嫌味の一つでも言われるんだろうなー、と覚悟していると





「お腹すいた」

「え? あ、うん」





予想に反して彼は何も言わず、静かに足の長いテーブルについただけだった。

なんだか拍子抜けだったのと多少の物足りなさを感じている辺り

自分はもう末期なんじゃないだろうかと思えてくる。



ウィッチはキッチンにチョコを隠し、そのまま用意してあった料理をテーブルに運んだ。

いつもならここで会話の一つでもあるものの、今日のグレイスはどこか上の空で
普段は料理にケチをつけるところ、黙々と手を進めている。





「グレイス……なんか疲れてる?」

「別に」





そしてなぜかいつも以上に素っ気無い。





「今日帰り遅かったよね? 何かあったの?」

「何も」





短い会話。それが何を意味するのか判らなくて、自然と目尻が下がっていく。

自分は知らないうちに彼に何かしてしまったんだろうか。



チラッとグレイスの顔を瞥見すれば、無表情の中にどこか不機嫌さを露にしていて

わけも解らず困惑した。一体なんだというんだ。せめて理由くらい話してほしい。

あまりの理不尽さに軽く憤りを覚えたウィッチは

知らず知らずのうちにグレイスよりも不機嫌そうに顔を顰めた。





「ねえ」

「はいぃっ!? なんでしょう!?」





けれどいざ向こうから声をかけられると必要以上に驚くわけで

持っていたスプーンを取り落としそうになりながらも

無表情で椅子を立ったグレイスを穴があくほど見つめる。





「もう寝るから。食器片付けておいてね」

「あ、解かっ……え?」

「おやすみ」





淡白な科白だけ投げ捨てて自室に戻ろうとするグレイスに





「ま、待って!」





途端に大きな声で制止をかけて服の裾を掴んだ。

彼は驚いたように瞠目し、おろおろとするウィッチをじっと見据える。





「ちょっと待ってて! まだ寝ないでよ!」





このままグレイスを放っておいてはいけないという妙な感情に囚われ

キッチンへと走ったウィッチは隠しておいたチョコを手に取った。

本当は捨てるはずだったこれも、今少しだけ勇気の糧になってくれるだろうか。

急いでリビングまで戻ると、グレイスは訝しげな表情で自分を見ていた。





「あの、私ね……別にその、深い意味とかがあるわけじゃなくて……その……だから、さ」





しどろもどろに言葉を紡ぐ自分にイライラしながら

それでもやっぱり素直に“バレンタインだからチョコあげる”なんて言えなくて





「どうせ誰からも貰ってないんでしょ? 可哀想だから私のあげるわ! 感謝なさい!」





結局いつものようにふんぞり返って唖然とするグレイスに

チョコを押しつける形となってしまった。うつむきながらチョコを押しつけて数秒間の沈黙。





(何、言ってんだ……私。もうなんでこんな日くらい可愛くなれないのよっ)





顔を上げた先でグレイスがどんな表情をしているのか知りたくなくて

うつむいたまま聞こえるか聞こえないかの境の声量でポツリと呟いた。





「……ごめんね」





静かな室内に秒針を刻む音だけが響き渡る。





「素直じゃなくてごめんね……」





思いを吐き出すように呟かれた言葉は

いつもウィッチ自身が感じていた不安だったのかもしれない。

素直じゃない自分にいつか彼が愛想をつかしてしまうんじゃないか。

そんな不安が全身を取り巻き、鼻の奥がツンと痛くなる。



重い沈黙に耐え切れなくなり「じゃ……それだけ。おやすみ」と踵を返そうとした瞬間

なぜかぎゅっと力いっぱい抱きすくめられた。頭は手で押さえられているせいか

彼の表情は確認できないけれど、唐突な行動に鼓動が早鐘のように早くなっていく。





「グレ、」
「顔上げるな」





牽制するような言葉のあと





「……ありがとう」





酷く柔らかい声色で小さく囁かれた。

“ありがとう”なんて彼から言われたのはこれが初めてじゃないだろうか。

ウィッチは動揺する自身をなんとか落ち着かせながら

それでも熱くなっていく頬を自覚して、更に薄桃に染まる頬に手を当てた。





(な、なんで今日に限って素直なの!? っていうかグレイス照れてる!?)





意外な事実に軽く困惑する。





「な、何照れてんのよ! こっちのが恥かしいわ!」

「誰が照れてるのさ。自意識過剰も甚だしいんじゃない?」

「じゃあ顔見せなさいよ!」

「やだ」

「ほら、照れてんじゃない!」

「照れてない」





中々強情に淡々と返してくるグレイスに若干むっとしながら

ここは意地でウィッチも強く言い返した。何事にも負けるのは腑に落ちない。





「照れてる!」

「照れてない」

「照れてる!」

「そりゃ……照れもするさ」

「照れて……は?」

「貰えないかと思ってたのに」





少しだけ小さな声になんとなく愛しさを感じて

ああ、なんだ。バレンタイン知ってたのかと、思うことは沢山あったが

そんなことよりも“貰えないかもしれない”という想像で

一人いじけていたんだと思うとどうにも可笑しくなってきて、つい笑ってしまった。





「中々可愛いこと言うわね、あんた」

「首の骨折って庭に埋めるよ」

「リアルだよ!! そして庭に埋める辺りちょっとした優しさを感じるよ!!」





ウィッチはやっと緩んだ腕の中から即座に抜け

グレイスの手元にあるラッピングされた箱を見てから恥ずかしそうに頬を掻いた。





「あー、その……それ、手作りだから早めに、どうぞ」





彼女からこんなサプライズを用意してくれることなどまずない。

だからこそ余計に嬉しくて、グレイスは箱を開けてから一つ

チョコをつまみ、口に入れる。口内にチョコレート独特の甘味が広がった。





「ど、どう?」





不安そうに眦を下げるウィッチは

満更でもない表情でチョコを喉に通したグレイスを見やる。





「不味くはない」

「素直に美味しいって言いなさいよ! 強情ね!」

「素直になってほしいの?」





刹那、グレイスは目を細めながら妖しい微笑を浮かべ

片方の手でウィッチの腰に手を回し、もう片方の手でくいっと彼女の顎を持ち上げた。

突然の行動に頭がついていけず呆然とするが

至近距離にある想い人の顔に自然と体温が上がっていく。





「ちょっ」

「そうだね、今日くらい素直になってもいいかもしれないね」





甘く微笑みながらそれだけ言うと、グレイスは優しく彼女の額にキスをした。





「グ、グレイスっ」





顔を真っ赤にしながら慌てるウィッチを無視して、それは徐々に瞼、鼻、頬へと下りてくる。

次にどこにくるかなど明白で、覚悟を決めたウィッチはぎゅっと目を閉じた。

コツンと額と額が合わさり、そして   .





「ヴィンス、そろそろ帰るぞー」





吐息が触れる寸前、ドアを思いっきり開け放つ音とともに聞こえてきたしわがれた声。

しばし室内になんとも気まずい沈黙が訪れ、ソファーの後ろに隠れていたのであろう

ヴィンスが突然の父親の登場にひょこっと背もたれから顔を出した。





「……すまん」





ノウブルは小さく呟くと、ヴィンスを連れてすぐさま踵を返そうとした。

だが





「ああっ、ちょっと待ってください!! 置いてかないで!!」





悲痛な声で助けを求めるウィッチの言葉に思わず立ち止まってしまい

肝心なところを邪魔されたグレイスに呪われそうな勢いで睨まれてしまった。

赤面したままのウィッチはバッとグレイスから離れ

ソファーの上で耳をひょこひょこさせているヴィンスに抱きついた。





「……ノウブル、あんたは本当に尽く僕の邪魔をしてくれるよ」

「今回のはわざとではない。許せ友よ」

「とか言いながらニヤニヤしないでくれる? 本気で殺すよ」





偶然にしても面白いほどタイミングのよかったノウブルをもう一度睨みつけ

頬を染めながら「どうしよヴィンス! どうしよう! うぁーっ!」と苦悶の表情を

浮かべる彼女を見て、ふっと微笑みを零す。





「まあ……今回はこれくらいで許してあげるよ。結構美味しい思いしたしね」





そして手元にあったチョコレートを一瞥してから、一つ口に放り込んだ。

甘すぎない味がゆっくりと口内を侵食し、それはまるで彼女のようで。

グレイスは口の中でチョコを転がし、小さく小さく呟いた。





「Happy valentine」



















「木枯の琴」の木枯殊様宅が拙宅の一周年祝いに下さいました!
何かリクエストがあったら、と殊様が言って下さったので、図々しくも殊様宅の完結済連載「魔法の使えないWitch」の皆さんで、とお願いしたのですが、本当にもう、こんな素敵なものを頂いてしまって寧ろ恐れ多いです。
殊様、この度は素敵なプレゼントを有難う御座いました!こうして無事にサイト開設一周年を迎えられたのも、殊様の様な優しい方々に恵まれていたからだと思います。
これはもう頼まれてもお返し出来ませんからね!我が家宝として奉納させて頂きます!(何様

最後に。
拙宅に来て下さっている皆様、一周年有難う御座いましたv