閉ざされた世界の中で、無自覚に、無意識に、しかし確実に時は流れる。
これは、或る青年と少女を巡る≪愛≫の物語。






とある自由で不自由な恋物語








 はらはらと枯葉が舞い落ちる並木道。足元の石畳には焦茶色の絨毯が広がっていて、静かに吹く風はそれでも肌を刺激する。澄み渡った空は蒼く高く、青年は横に止めてあった自転車のスタンドを軽く蹴り上げてそれに跨った。
 緩い傾斜は自転車で走るのに丁度良い。頬を掠める風は自転車の速度も相俟って酷く冷たく感じるけれど、この晴れた午後の雰囲気にはそれすらも何処か心安らかだ。
 否、この何となく嬉しい様な楽しい様な、意図せず自然と表情が綻んでしまう様な、そんな感覚の原因はこの気候ではないのだろう。
 青年は坂を下り切った所で曲がり角を左に曲がり、街路に入り込んで左手にある邸宅を見上げた。一般家庭よりは些か裕福そうに見える、品の良い外観で三階建ての一軒家。庭もそれなりの広さを誇っていて、窓の向こうにちらりと見えるカーテンなどは、やはり普通の物よりは値段が張るのだろうと思われる。
 そんな邸宅を眺めつつ、青年は路地を進んで奥に入り込むと自転車を止めた。そして足元に落ちていた小石を拾い、家を囲っている塀越しに壁を叩く。こつこつと軽い音が響き、その後、きぃ、と軋んで頭上の窓が開いた。

「こんにちは、郵便屋さん」
「こんにちは、御嬢さん」

 窓から覗いた少女の顔に青年は柔らかい笑みを浮かべ、自転車のスタンドを下ろすと少女の方にしっかりと向き直る。
 昼間であるからか少女が顔を出したその部屋に照明の灯りはない。ぼんやりとした空間の中に、白い少女の顔がくっきりと浮かんでいる。

「今日も配達のお仕事ご苦労様ですね」
「いやいやそうでもないよ。毎日僕の無駄話に付き合ってくれる、とある優しい御嬢さんが居てね。これでも毎日配達の時間が楽しくて仕方ないんだ」
「あらまあ、それは羨ましい。きっとその御嬢さんも、そんな風に言って貰えてとても喜んでいるでしょうね」

 言って少女はくすくすと笑い、つられて青年も笑みを零す。鈴を転がす様な少女の声は澱みなく、病弱そうな青白い肌も、常人より明らかに細い体も、何処か彼女の不思議な気配を醸し出している。年の頃は恐らくもうそろそろ大人と呼べるくらいなのだろうけれど、その容姿故にどうしても彼女は幼く見えてしまう。不用意な外出は医師に禁じられているのだと、初めて出逢った時に彼女はそう言った。
 あれは何時の日だったか、正確な日付などは覚えていない。けれどある日この街路を通り掛った時、外の風景を眺める少女が窓越しに見えたのだ。その時も彼女からは硝子細工の様な脆さを感じ、その危さと共にある美しさに思わず目を瞠った。そうしている内に少女も青年の存在に気が付いたのか、二階の窓がゆっくり開き、濁りのない透明な声で話し掛けられた。
 それ以来、こうして彼女と他愛も無い会話をするのが日課になっている。

「ねぇ郵便屋さん。『人間は生まれながらにして自由である』と言ったのは誰でしたっけ?」

 少女は唐突にそんな事を言い、可愛らしく首を傾げて見せる。彼女がどういった病を抱えているのかは知らないが、陽を浴びた事など殆ど無い彼女の肌は、驚くべき程に透き通って白い。

「確か……自然状態が何だとかって言っていた人だと思うのですけれど」
「ああ、ルソーだね、それは」

 二階の窓に向かって青年がそう答えると、少女は「そうですルソーです」と言って「度忘れしちゃいました」とはにかむ。色素の薄い亜麻色の髪がふわりと揺れ、開け放たれた窓枠に腕を乗せて頬杖をついた。

「『自由』なんて……そんなもの、私にはないけれど」

 ほう、と小さな溜息が少女の口漏れ、青年は頭上を見上げて眉を顰める。微妙な沈黙が訪れ、それから青年は困った様に眉尻を下げた。

「それで、君は今自分が不幸だと思っているのかい?」

 静かに青年が問い掛けると、少女は数瞬言葉に詰まってから口元を緩める。くすりと耳に心地良い笑い声が響き、青年はそれに表情を和らげた。

「不幸だなんて、思ってませんよ。たとえ此処から出られなくても、自由なんて与えられていなくても、あの日貴方と出逢ってから、こうして他愛も無い話をして静かに時を過せる。穏やかに、私自身で居られる。それはとても幸福な事だと、そう思っているんです」
「そうかい。それなら安心だ。誰かが幸福か不幸かだなんて、きっと他人に決められる事ではなくて、自分で決める事だろうから」
「そうですね。私もそう思います」

 少女はおかしそうに微笑を零し、愛らしい笑みを浮かべながら亜麻色の髪を揺らす。
 そして次の瞬間、青年は焦って声を荒げた。

「ちょ……っ、御嬢さん!」

 少女は窓から身を乗り出し、折れてしまうのではないかと不安になる程細い手を青年に向かって伸ばす。慌てた青年は少女が落ちない様にと下から支える様に腕を出し、少女は端麗な笑みを浮かべたまま悪戯気に口を開いた。

「ねぇ、郵便屋さん。そろそろ私は、この気持ちを恋と定義してしまっても良いかしら」

 少女の声が木霊する。
 青年は呆然として返答に窮し、唯々目を瞬かせて立ち尽くした。目前にある少女の顔は何時もより近い距離にあって、その白さがより一層際立って見える。
 そして青年は一度瞳を閉じた後、視線を上げてやんわりと笑みを浮かべた。



「それなら御嬢さん。僕はそろそろこの気持ちを愛と定義してしまっても良いのかな」



 瞠目して言葉に詰まった少女の表情に、青年は思わずくすりと笑った。









こちらは[レイニーハニィー]の青崎日向様に20000hit祝賀という事でプレゼント致しました作品です。日向様から許可を頂きましたので拙宅の方にも置かせて頂きました。
リクエストは「爽やかな恋愛物」という事だったのですが、爽やかってどんなだこんなで良いのか自分!とあたふたしながら書いていました。病弱な少女と郵便屋さんとか物凄く私の趣味ですすみません。笑
そんなこんなで、これを書いてる内に同じ設定でちょっとダーク系も書きたいなぁなんて思い始め、こちらも日向様から許可を頂いてがりごり書いてしまいました。
そんなにがつんと来る内容ではないと思うのですが、そういうのが苦手な方は即バックでお願いします。
(→アナザーストーリーはこちらから)

本作品はプレゼント用ではありますが、お持ち帰り可能なのは日向様だけですので、そこの所はご了承下さいませ。






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